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キングダム「ほうけん矛盾」とは?おうきの過去が武神を『人の代表』と決定づけた?

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中華統一のために秦国がどんな戦略を立てるのかも魅力ですが、やはり敵と一騎打ちするシーンは格別ですよね。

その中でも、主人公李信と趙国の武神ほうけんとの戦いはしびれちゃいました。

ほうけんとは李信だけでなく、過去には秦国の六大将軍王騎やひょうこうとも戦った因縁の相手。

そんなほうけんのことを李牧は「人の代表」だと言っていたのを覚えていますか?

ただ、李牧はなぜ武神ほうけんのことを「人の代表」だと比喩したのかイマイチ理解できなかった人も多いのではないでしょうか。

また、ほうけんは王騎を含む秦国の武将たちと戦っている中で、ある矛盾に苦しんでいたといわれています。

そこで、今回はほうけんがなぜ人の代表といわれていたのか、そして、うけん自身が感じていた矛盾について過去をさかのぼりながら考察してみました。

 

キングダムほうけんの矛盾とは!

武を極限まで突き詰めたほうけん。

その強さは、王騎やひょうこうを絶命させるほど凄まじかったですよね。

しかし、ほうけんは彼らの命を絶ったはずなのになぜかずっと悩んでいたような姿が見られていました。

これはほうけんが秦国の武将たちと戦った中である矛盾が生まれたからだといわれています。

果たしてほうけんが感じた矛盾とはいったいなんなのでしょうか?

まずはそのことに注目しながら見ていきましょう!

 

ほうけんは自分が人間だと認めていない

ほうけんは自分は武神であり、人々を導く存在だと信じこんでいました。

しかし、ほうけんだってただの人間です。

その事実を認められなかったことが矛盾を感じたきっかけだったと思われます。

おそらくほうけんは秦国の武将たちと戦っているときに、

「なぜ武神である我に歯向かうのか?」

「自分が導くべき人間がなぜここまで強いのか?」

と、疑問を持ったのではないでしょうか。

そんなほうけんの矛盾は秦国の武将を相手にする度、大きくなっていったと予想します。

きっとほうけんも自分が神ではなく人間であると受け止めることができれば、あの時とは違う強さを持っていたでしょう。

そうなっていたら、もしかしたら秦国との戦いの結末は変わっていたかもしれませんね。

 

捨てる力と抱える力の違い

ほうけんと王騎や李信といった秦国の武将の大きな違いは他者を切り捨てるか、抱え込むかという根本的な考え方にあります。

ほうけんは自分の武を極めるために、全ての人とのつながりを絶ちました。

山の中でひたすら1人で修行し、己を極限まで鍛えぬいた体は並大抵のものではありませんでしたよね。

しかし、王騎たち人の絆を決して断ち切りません。

それは秦国の民だけでなく、今生きている者や、戦いの中で亡くなった人も含まれています。

その絆こそ王騎たちの強み!

ただ、ほうけんにはそれが全く理解できませんでした。

おそらく個の力だけならほうけんの方が上だったかもしれません。

しかし、人の絆から得た力は個の力をはるかに上回るという意味なのではないでしょうか?

ほうけんからすれば、全てを武に捧げたのに、人と慣れあっている秦国の武将になぜ勝てないのかという矛盾に戸惑っていたと思われます。

 

ほうけんと王騎の過去が武神を『人の代表』と決定づけた?

さて、ほうけんは自分を人間だと認めず、武神であると考えていました。

味方である趙国の民とも一切関わらず、ひたすら「個」を追求してきましたよね。

そんなほうけんのことを趙国の最も手強い人物である李牧がなぜ「人の代表」であると主張したのでしょうか?

その答えは、ほうけんと王騎の過去が大きく影響しているのではないかと考えられているんですよ。

次は、李牧がほうけんを「人の代表」といった理由と、きっかけについて考えてみましょう!

 

王騎との一騎打ちがきっかけ?

ほうけんが「人の代表」となったのは王騎がきっかけであると考えられます。

事の発端は、とある戦で王騎の婚約者の摎をほうけんが殺したところから始まりました。

摎は王騎と並ぶ六大将軍の1人でしたので、決して弱いわけではありません。

もしかしたら、戦場で一騎打ちをしていたら死ななかった可能性もあったでしょう。

しかし、ほうけんは摎が休んでいるテントに急襲してきたのです。

摎だって油断していたわけではありませんが、きちんと戦う態勢は整っていない状態でした。

ほうけんからすれば急襲は卑怯ではなく、むしろ戦略の1つだと考えていたのかもしれません。

しかし、本当に武神であるならば、正々堂々1番強い人物を呼んで戦えばよかったはず。

それなのに、自分のタイミングだけで戦うというのは仁義を通していませんよね。

摎が殺害された直後、王騎は大切な恋人を殺された悲しみと、仁義を欠く行動に怒りを爆発させ、ほうけんを圧倒され逃走したという結果になりました。

強襲する卑怯さや、王騎の強さに圧倒され逃げたという自己防衛心

そんな弱さを持つほうけんはある意味とても人間らしいといえますよね。

つまり、ほうけんは人間らしいズルい部分も持っており、李牧はそれを見抜いていたため「人の代表」だと表現したと思います。

 

龐煖は秦国が中華統一を狙うことは異常だと思っている?

私たち読者はついつい主人公がいる国に肩入れしちゃいますよね。

つまり、秦国が正義であると思いがちになる傾向があります。

しかし、ほうけんや李牧のいる趙国からすれば、中華統一を狙っている秦国の行動は非人道的に見えたのではないでしょうか?

秦国の王「政」は李牧に対し、武力で中華統一すると堂々と宣言しました。

中華統一とは聞こえがいいですが、他国からすれば秦国は独裁的で異常な国なのだと見られていたのかもしれません。

つまり、李牧やほうけんにとっては、秦国こそ倒すべき存在なのです。

だからこそ、秦国の武将をことごとく倒すほうけんこそ「人の代表」であると李牧は言っただと思います。

もちろん政が中華統一を目指すのはその先にある平和のためですが、李牧たちには理解不能だったようですね。

 

まとめ

ほうけんは自分を人間ではなく武神であると信じ込んでいた哀しい男だったのかもしれません。

そんなほうけんが武神ではないと矛盾を感じたきっかけこそ王騎との一騎打ちだったと思われます。

そして、この矛盾は王騎だけでなく李信やひょうこうと戦う中でも感じ、最終的には李信に真実を突きつけられたのではないでしょうか?

また、ほうけんが「人の代表」といわれる所以は、秦国以外の国からの視点からの発言だと思われます。

秦国が掲げた中華統一とは、過去誰にも実現ができませんでした。

つまり、それほど無謀で修羅の道だと人の代表である李牧やほうけんは感じたのでしょう。

いつもは秦国サイドからキングダムを読みますが、趙国からの視点で見ると、また考えが変わっておもしろいですよ。

あなたもぜひもう一度キングダムを読み、ほうけんが感じた矛盾について考えてみてはいかがでしょうか?

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