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キングダム【番吾の戦い】史実との違い!趙滅亡の詳細や場所(地図)を徹底解説!

キングダム 番吾の戦い
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漫画キングダムの【番吾の戦い(ほごのたたかい)】が実際にあった戦いだとご存じですか?

中国の春秋戦国時代の史実がもとになっているキングダムですが、史実とは違い独自のシナリオが面白いので、番吾の戦い(ほごのたたかい)も期待しちゃいます!

番吾の戦い(ほごのたたかい)が趙の滅亡を招いたといっても良いほど大事な戦!

その詳しい史実と争われた場所を地図でご紹介します。

実はこの番吾の戦いが起こった場所もとても重要!

争われたのは必ず理由があるので、地図でどのへんだったのかしっかり押さえて番吾の戦いの史実を解説!

そして一番重要なのは、番吾の戦いがキングダムでどこまで詳細に描かれるのか?

史実とどこまで違うストーリーで描いてくれるのか期待が高まります♪

趙滅亡へとつながる番吾の戦いを早速見ていきましょう!

番吾の戦いの(ほごのたたかい)はまさしく歴史を変えた戦いなんだよ!

 

キングダム【番吾の戦い(ほごのたたかい)】史実との違い!

実はキングダムではまだ番吾の戦いまでは描かれていません

ただこれまで史実を描いた戦いから、キングダムと史実ではこんな風に違いを描いてくるんじゃないかなんて予想は立てられます。

まずは史実に残る番吾の戦いの記録を振り返ってみましょう。

そこから、これまでのキングダムで描かれた史実に残る戦いと比較して、番吾の戦いがキングダムでどのような展開になるのか徹底考察!

史実とキングダムの違いを紹介していきます。

まずは番吾の戦いの史実を調べてみたよ!

 

【番吾の戦い(ほごのたたかい)】史実の記録は少ない!

番吾の戦いに関する、有名な史実の記録は実はこれだけ…

四年,秦攻番吾,李牧與之戰,卻之。

史記 趙世家第十三/司馬遷より引用

一行です!

直訳すると『4年(幽繆王が即位して4年)、秦は趙の番吾を攻める、李牧は番吾で迎え撃つ、そして勝つ』

李牧は番吾を攻めてきた秦軍を迎え撃ち、見事に勝利を収めたという記録が史実にもしっかりと残っていたのです。

ただ、登場人物は李牧のみ…

秦が誰を将軍として立てていたのか、どんくらいの年月戦ったのかや被害がどのくらいだったのか両軍とも詳細な記録は残っていません。

オリジナルにアレンジできる要素はふんだんに含まれています!

そこで次の章で番吾の戦いの史実とキングダムで描かれるであろう違いを紹介していきましょう♪

たった一行しか史実に残っていないのは驚き!

 

番吾の戦い(ほごのたたかい)で史実とキングダムの違いを紹介!

番吾の戦いで描かれるであろうキングダムと史実の違いは、予想の段階ですが以下の通りになると考えられています。

  1. 秦の大将が史実と違う
  2. オリジナルキャラクターが登場する
  3. 番吾の戦い以外の前哨戦がある
  4. 信が活躍する

といったところでしょう!

実は史実で番吾の戦いの秦国側の総大将は明かされていません…

なのでここは間違いなくキングダムオリジナルで史実と異なる可能性大!

それぞれのキャラ立ちを保つために、ぽっと出のオリジナルキャラクターが総大将になる可能性すらあります。

さらには、番吾の戦いに向けた前哨戦がどこかで幕を開けるでしょう!

こちらに関しては青歌の司馬尚も絡めての展開になると予想!

しばらくは李牧と司馬尚をアゲル展開が続くので、どうしても司馬尚率いる青歌の将軍を活躍させて箔をつけておかなければなりません!

最後に飛信隊の活躍です!

実は信はまだ史実では登場すらしていません!

キングダムしか読んだことない方は驚きかもしれませんが、主人公の信が史実に登場するのは紀元前229年頃から。

衆を将いて、漳・鄴に臨み、而して李信、太原・雲中に出づ。

戦国策 第三十一巻より引用

現在のキングダムは紀元前233年~234年頃なので、まだまだ李信は活躍していません!

そのため信の活躍は全てフィクションであり、史実と異なるポイント!

実際には戦争には参加していたかもしれませんが、記録に残っていない物は将がありません…

どんな風に史実の番吾の戦いと絡めて、主人公の信が活躍するのかも見どころですね♪

史実に残っていない部分がどうなるか楽しみだね♪

 

【番吾の戦い(ほごのたたかい)】趙滅亡の詳細や場所(地図)を徹底解説!

番吾の戦い(ほごのたたかい)自体は、実は李牧が率いる趙が勝っており、趙滅亡とは何の関係もありません!

しかし李牧がここで秦に大勝ちしてしまったが故に、秦は李牧を最大級に警戒したため、策をもって趙を滅ぼすことができたのです!

史実で李牧は無敗であり、イケイケの秦相手に唯一、勝ち切った史実に残る名将。

李牧がいながらなぜ趙が滅亡することになったのか、そして秦がどのように中華統一を進めたのか地図も照らし合わせながら解説していきましょう!

一言でいうなら李牧が強すぎたから趙は滅びたのです!

李牧が強すぎて趙滅亡したってどういうこと?

 

趙滅亡の詳細な理由は番吾の戦い(ほごのたたかい)で李牧が強すぎたから!

李牧は秦相手に2連勝しているのを知っていますか?

肥下の戦い⇒番吾の戦いで連続して勝利を収めたのが紀元前233年から232年の間!

秦は番吾の戦いで李牧に完膚なきまでに叩きのめされた秦は、一度趙滅亡を諦めます…

李牧が強すぎて、李牧がいる間は趙を落とせないと考えた秦!

裏を返せば最強の李牧さえいなければと思っていたに違いありません…

ここから秦は趙滅亡よりも先に、李牧の排除に力を入れてリベンジすることに!

そして韓を滅ぼした後の3年後、紀元前229年にリベンジ。

なぜこのタイミングだったかというと趙が自信と大飢饉で弱っていたから!

そして国力が弱っているところを、李牧以外の国の中枢から揺することに!

秦国は賄賂で国王の側近を買収して、国王に李牧が国の転覆を狙っているなんて映画にもありそうな嘘の情報を流し、趙国王は見事引っかかってしまいます。

そして趙国王は秦の目論見通りに李牧を処刑!

李牧がいなくなったその時から秦国は一気に趙に攻め込み、半年ほどであっという間に趙を滅亡させてしまいました…

秦国は李牧に完全に負けてしまったが故に、李牧以外は敵なしと判断!

李牧と正面から戦わず、内政干渉から李牧を処刑させて趙滅亡へと導いたのですね。

こう考えると李牧と正面から戦っていた場合、中華統一ははるか先の話で始皇帝も教科書に載っていなかったかもしれません!

李牧が強すぎることが知れ渡ったのが番吾の戦い!

 

番吾の戦い(ほごのたたかい)の場所と地図を解説!

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番吾の戦いが起こった場所を地図で紹介します!

一番左の赤いポイントが秦の首都・咸陽。

そこから東に約700㎞ほど移動したところが趙の首都・邯鄲になります。

番吾の戦いが起こった場所は邯鄲の北で地図でいうと邯鄲のすぐ上!

170㎞程北上した、現在の石家荘市が番吾の戦いが起こった場所です!

こうして地図を見比べると、秦が趙の首都・邯鄲の近くまで侵攻していたことが十分にわかりますね。

ここから盛り返した李牧の強さとヤバさも感じていただけるのではないでしょうか?

改めてみると番吾の戦いが起こった場所を取られていたら、趙滅亡はもっと早く史実に刻まれていたんと思います!

ここから挽回した李牧は本当にすごいね!

 

まとめ

キングダムで描かれる番吾の戦い(ほごのたたかい)の史実と漫画の違いを紹介してまいりました!

史実では一行しか記録が残っていない番吾の戦い(ほごのたたかい)なので、キングダムでは原先生が想像を膨らませて、気ッと壮大なスケールの戦いになること間違いなし!

史実との違い予想も覚えていてくださいね♪

番吾の戦い(ほごのたたかい)で李牧が強すぎたから趙滅亡へとつながるなんて、趙にとっては悲運そのもの…

もし李牧が不在で番吾を取られていたら、それはそれで趙滅亡はもっと早く史実に記録されることになっていたと思うので、趙滅亡は避けられない運命だったのかもしれませんね!

場所や地図の詳細も確認すると、首都近くのあそこまで攻められると趙にとっては苦しいです。

李牧と趙を本気にさせるほど秦が攻め込んだことも、場所と地図を詳細に確認することで改めてわかりました!

次はキングダムで実際にどのように番吾の戦い(ほごのたたかい)が描かれるのか楽しみですね♪

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